2021鑑真和上足跡訪学(3/29 その1 唐招提寺)

鑑真和上の足跡をたどる旅も3日目。奈良の唐招提寺、法華寺、興福寺、薬師寺を訪れました。唐招提寺は鑑真により開山され、示寂までの5年間をここで過ごされました。ここでは唐招提寺訪学の記録を残しておきます。


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唐招提寺 南大門

創建当初の姿を残し、鑑真和上も足を踏み入れたはずの金堂。中央に御本尊の盧舎那仏、右に薬師如来、左に千手観音がいらっしゃいます。残念ながら内陣は撮影禁止。

こちらも創建当初の建物。平城宮の東朝集殿を移築したもので、平城宮の建物としては唯一といいます。唐招提寺は火災の被害が非常に少なく、貴重な建物が今に残されています。

天武天皇の皇子、新田部親王の旧宅地が下賜されたこの地に、創建以前から建っているという経蔵(向かって左)と、創建時に建てられたという宝蔵。

鑑真和上がもたらした仏舎利を納めている鼓楼

鑑真和上の御身代わり像を納める開山堂。今回の訪学では京都国立博物館で奈良時代の和上像、東大寺の戒壇院千手堂で江戸時代の模刻、唐招提寺で現代の御身代わり像を拝することができました。

開山堂前には松尾芭蕉が訪れて和上像を拝したときの句碑「若葉して御目の雫拭はばや」

美しい築地塀の奥には、鑑真和上が伝えた戒律を僧に授戒する非常に重要な場、戒壇がありました。現在建物は失われていますが、現在でもここで授戒を行うことがあるそうです。

鑑真和上が晩年を過ごした場所がこの道の奥あたりと言われているそうです

そして、鑑真和上が今も眠る御廟がここに鎮まっていて、御廟前には和上がいらした中国揚州の花、瓊花が植えられています。


法華寺、興福寺、薬師寺への訪学はこちら

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